【第百八十三話】 お釈迦様の苦行

法寿院 水崎圭二

お釈迦様が出家したのは、今から2,500年近く前の29歳のときのことであった。仏になる前のことであるから、あえてブッダと呼ばせていただこう。ブッダは、髪を切り粗末な修行者の衣服に身を包み、愛馬のカンタカに乗って、当時のマガダ国の首都である王舎城という東インド随一の都会を目指したんじゃ。そこで、様々な禅定を学ぶのじゃが、自分の求めるものがないことを知ると沙門と称せられる修行者の一群に身を投じた。この6年間の難行苦行は、断食を中心としたもので、骨と皮だけになったブッダの姿の有名な苦行像は、その苦行の凄まじさが想像できる。ある仏典にこのような記述がある。

「私は墓地に屍の骨を寝床としてやすんだ。牛飼いの少年達が来て、私に唾し、小便をかけ、ゴミを身体にまき散らし、両耳の穴に木片を突っ込んだ。しかし、私は怒ることはなかった。私の心の平静に住する修行はこのようなものであった。」ブッダは、人のすべての見栄や誇りを捨てて、心の平静を求めた。じゃが、それにもかかわらず悟りの境地に至ることはなかったのじゃ。ブッダは、苦行から離れて瞑想を中心とした修行に切り替えていった。当時、苦行と瞑想は、互いに深く関わりあっている、車輪の両輪のようなものじゃった。ブッダの苦行は決して無駄にはならぬ。この自我と向き合う必死の修行があったればこそ、仏(悟りの境地に至った者)となられたのじゃ。

仏教学者の金子大栄氏は、こう言っている。

「人生を問題にしている間は知識で解決できるが、人生が問題となったときには知識では解決できない」人生というものは、たくさんの経験を踏んで、本人の確固たる意志を持って、突き進んだ先に納得のゆく自分自身の未来がある。破産や離婚や自動車事故といった人生の災難に出会ったとしよう、そこから受ける心の痛手をいやし、また「よしっ!」と立ち上がるには、本人がつちかった意志の力が解決に導くのであって、決して知識から得られるものではない。

ブッダの苦行生活に終止符を打ったのは、尼連禅河の岸にあるブッダガヤである。その途中で仏伝で有名な村娘スジャーターの乳粥の供養を受けている。コーヒーに入れるミルクで知られている名前じゃ。その後、一本のピッパラの樹の下で、瞑想に入り悟りを開いたんじゃ。悟りのことを菩提という。じゃからこの樹を菩提樹と呼ぶようになった。現在は大菩提寺という世界文化遺産の寺となっておる。仏典には、瞑想するブッダに悪魔が様々な形で襲いかかり、悟りを妨げようとしたと伝えている。それは、「欲望、嫌悪、飢渇、妄執、物憂さと睡眠、恐怖、疑惑、見せかけ、そして悪魔の娘の誘惑」で、それは次から次へと襲ってきた。それに打ち勝った先にブッダの悟りがあったのじゃ。修行とはそのまま自我の欲望との戦いで、悪魔との対決だった。私たち人間には欲望がある。欲望があるからこそ人は進歩するのだが、同時に欲望は欲求不満におとしいれる。「苦」とは「思い通りにならないこと」つまり、欲求不満がなくなれば、苦しみは無くなるということなんじゃ。