| 「お帰り」
管理者 相原あや子
朝出勤すると、1階の玄関にKさんがいました。Kさんは日向ぼっこが大好きで、朝は朝日を求めて東に、夕は夕日を求めて西に、まるで遊牧民の如く移動されるのです。私はそのKさんにかける言葉を一瞬迷いました。「おはようございます」か「ただいま」か。すると、Kさんから「お帰り」とごく当たり前のように言われたのです。私は迷った自分を恥じたのと同時に、とてもうれしい気持ちでいっぱいになりました。Kさんにとって、私は家族とまではいかないかもしれないけれど、少なくとも同居人と認識してもらっているのです。
早速2階のスタッフにこの事を話そうとしたら、そのスタッフからも、「さっき出勤してきたら2階の玄関のところで、Fさんに「「お帰りなさい」と言われてねえ」と目を丸くして言われました。KさんもFさんも今年2月に入居されていますので、ここルンビニーでの暮らしが半年以上経過しています。私たちスタッフは、入居者、スタッフ共々のなじみの関係作りを意識して日々ケアを行っています。「お帰り」の言葉にその日々の成果を垣間見た感がありました。 |
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| ご家族からのお便り |
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Oさんの長男のお嫁さんからいただいたお便りを紹介させていただきます。Oさんは現在65歳で、痴呆症状にご家族が気づいたのが6年前のことです。まとまったお金をゴミに出す、何かを盗られたと頻繁に言う、身なりをかまわなくなる等のことが出現し始めました。入居前までは、再婚したご主人と次男さんとの3人暮らしでした。Oさんの世話をしていたご主人の持病が悪化し、入院しなければいけない状態となり、Oさんはルンビニーに入居することとなったのです。以下に「痴呆性高齢者が体験していること」を掲載します。Oさんが日々体験している世界そのものなのです。
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| 痴呆性高齢者が体験していること |
| 1) |
周りの世界と自分の世界がずれていく(時間、場所、事柄) |
| 2) |
周りの世界がつかめない、すりぬけていく
ここはどこ?今はいつ?この人は誰?何が起きている? |
| 3) |
世界がぐらぐらする |
| 4) |
世界がぶつぶつ切れる |
| 5) |
周りの世界が自分を脅かす
・声、音、ひかり、影、広さ、物の固まり、スピード他 |
| 6) |
自分の身体が自分を脅かす
・痛み、かゆみ、苦しさ、だるさ、喉の渇き、空腹、眠気、疲れ
・他の苦痛や不快に対処できず身体のシグナルが侵襲となる
・行動を自分でコントロールできない − 身体の反乱、反抗 |
| 7) |
自分自身が崩れる
・自分自身がつかめない、消えていく
・自信、プライドがずたずた
・気力も失せる
・不安、孤独 他 |
| 8) |
(記憶に焼き付いている)大切な出来事や大切な人が、今まさにここに存在する |
永田:痴呆の人の環境ケアの重要性、精神科看護、1999.6月号より |
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ルンビニーはご主人が建てたアパートと思い込み、他の入居者に対して住まわせてやっていると言い、トラブルになることがあります。「うちのだんな様はいつ帰るんかな」と1日何回も聞き、その後必ず言う言葉は「女つくって子供までできたんよ」とのこと。こういうことを考えていると眉間にしわが寄ります。つい1ヶ月前はそれがピークで寝ているときも起きている時も、眉間のしわは消えませんでした。そんなある日の入浴中、頭皮に円形脱毛を発見、かなりのストレスがたまっていたのでしょう。そんなOさんの世界を受容し、また他の入居者とのトラブルを回避するよう、スタッフはさりげなさを装いながらも五感をフル活動させてのケアの毎日です。
以下、ご家族からのお便りを紹介させていただきます。 |
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主人の母がルンビニーに入居して約3ヶ月が過ぎました。痴呆が進み、家では手に負えなかった母が、面会に行くたびに笑顔で迎えてくれることが、私達の気持ちをどんなに軽くしてくれることでしょう。こんなに心静かに母を見るのは久しぶりだと主人が言います。
入所前は、入浴や散髪を嫌がり、意味の分からないわがままを言い、叱ったり、なだめたりの繰り返しで、終いにはこちらが変になりそうでした。しかし、この頃の母を見ますと、さっぱりした髪型に、いつも清潔な身体、洗濯された衣類−白い割烹着で台所にいる姿は、一昔前の母のようで、とてもうれしく思います。そんな母を常に受け入れてくださるスタッフの方々の優しい笑顔に触れ、私達は本当に心温まる思いでございます。
痴呆の人は自分の世界で生きているんだなあと、最近分かるようになりました。自分を認めて、受け入れてくれれば、安心するし、機嫌がいいのですね。それが分かっても、普通の家庭生活においては、母に付き合うのは、とても大変なことです。他の家族の生活も維持していかねばなりませんから、痴呆である母にも我慢を強いたり、叱り飛ばしたりせざるを得ないからです。母にとってみても、自分を否定されるのですから、ものすごい形相になってしまいます。
ルンビニーにおいては、きれいな花を活けたり、手芸や料理をしたり、散歩やおやつを楽しんだりと、あらゆる分野からの感動や刺激に溢れています。日の当たる台所に、手作りの大きな木のテーブルを見た時には、とても感動しました。
痴呆の人は言葉で表現することはできないけれど、そのテーブルで食事をする時に、温もりを心できっと感じていると思います。私達よりずっと長く生きてきて、いろいろな経験を積み、いろいろなものを見てきた人達だからです。
母は自分の生まれた海辺の田舎へ帰りたいと言います。そこには死んだはずの友人や、とっくに無くなっている家や、ちっとも年をとらない自分がいるのです。ルンビニーには田舎に家が見つかるまでいるということで入所させましたが、今ではそれも忘れています。母の心の中には、キラキラした美しい思い出がぎっしりです。
新しい記憶がなく、古い思い出だけが残るなんて、とても不思議ですが、精一杯生きてきた母に、神様が最後にくださったプレゼントなのかもしれません。
赤い屋根のルンビニーで、お友達と共に、失われかけていた幸福な生活を送れることをとてもありがたく思います。
母をよろしくお願い致します。
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