Kさん、お帰りなさい。

管理者 相原あや子

 
 昨年10月25日、「Kさんが転倒し右股関節部を痛がっている。」との報告をスタッフから受け、居室のベッドに臥床しているKさんを見た瞬間、やられた!と感じました。これは骨折しているな、と。院長の指示で I 整形外科に救急車で搬送された結果、大腿骨頚部骨折と診断され入院、その日から牽引が開始されました。29日にはピン固定の手術が施行されました。

 Kさんは昨年5月13日ルンビニーに入居されました。それまでは息子さんご夫婦と暮らしておられました。訪問看護など介護サービスを使いながら主にお嫁さんがお世話されておられましたが、ご商売をされながらKさんの徘徊や排泄のお世話などで、お嫁さんは身体的にも精神的にも疲労され、Kさんはルンビニーに入居されることとなったのです。

 Kさんは数年前転倒による頭部内出血が原因で歩行は少し不安定でしたが、見守りが必要なレベルではありませんでした。立って上手にバランスを取りけん玉がとても上手でした。また、右上腕骨骨折のため右手が不自由で、お箸は左手を使っておられました。それでも両手を上手く使って食器を拭いたり、洗濯物のタオルをきれいにたたんだりと、ルンビニーでの落ち着いた生活が定着しかけた矢先の事故でした。Kさんの場合、移動時常に見守りや介助の必要なレベルではなかったため、かえって転倒を未然に防ぐことが難しかったとはいえ、ご本人やご家族には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 入院治療に数ヶ月はかかるため、Kさんは退居されました。手術後は順調にリハビリが開始され、11月5日から座位練習、11月18日からは歩行練習が開始されました。車椅子を押しながら一歩一歩懸命に歩くKさん、「がんばれ、がんばれ」と心で叫び応援しました。12月17日にはB病院に転院され、そこでも理学療法士、作業療法士によるリハビリが引き続き行われました。今年に入り3月中旬、B病院の相談員の方からお電話がありました。「Kさんのリハビリをこれ以上続けても今以上の歩行のレベルアップは望めないので、ルンビニーさんに空き室ができたら入居は考えていただけるでしょうか?」 病院は治療目的ですから生活感が薄いのは当たり前ですが、病衣を着てベッドで一日の大半を過ごしているKさん、ルンビニーに戻られれば確実にKさんのQOL(生活の質)は上がります。ただ、歩行器での歩行に必ず介助が必要で、ご本人に歩けないという自覚がないため、転倒のリスクは高い・・・。4月に入り空き室ができました。熟慮の末、やはりKさんのQOLを優先しよう。転倒のリスクはスタッフみんなの知恵を出し合えば、最小限に止めることは可能だ。そう結論を出し、4月22日Kさんはルンビニーに半年振りに戻ってこられました。

 転倒防止の対策として、居室で休まれる時はベッドサイドに徘徊センサーマットを敷き、Kさんが起きて端座位になられるとスタッフはチャイムで気付き居室に行きます。Kさんは椅子からの立ち上がりが困難なため、どこかへ行こうという気になられた時は立ち上がろうとそわそわ落ち着かなくなります。スタッフはすばやくそれをキャッチし、「どこに行かれますか?」と聞くと、「部屋で休もうと思うんよ。」など言われ、歩行器での介助のもと目的の場所へ移動します。時代劇の大好きなKさん、朝は”遠山の金さん”、夕方は”水戸黄門”を見るのが大の楽しみです。その時は畳の部屋でお家から持ってきていただいた座椅子に座っています。これもKさんにくつろいでいただくのと同時に、転倒防止の一策です。色々工夫しながら、再入居されてから今のところ転倒なく過ごされています。

 「トントントンカラリンと隣組、調子を合わせりゃ顔なじみ、回してちょうだい回覧板知らせられたり知らせたり、トントン」 今日もKさんの十八番が始まります。すると、周りの人も合わせて一緒に歌い出し、最後はみんなで「わはははは・・・」。「私なあ何でも直ぐに忘れてしまうんよ。何がなんだか分からないトコトンヤレトンヤレナ」、またみんなの笑いを誘います。入居当初、「私、Sマートに帰ってこうわい。」とよく言われていました。Sマートは息子さんの経営するスーパーマーケットです。Kさんにとってルンビニーは初めての場所で、何だか落ち着かなく不安な気持ちだったのでしょう。今はもうその言葉は全く聞かれません。他の入居者やスタッフとのなじみの関係が、Kさんの心の中に成立したのでしょう。今度こそ、Kさんとこのルンビニーで春夏秋冬を何度も何度も一緒に迎えられることを願って止みません。

 再入居されたKさんのご家族から、今の想いを綴ったお便りをいただきましたので、以下に掲載させていただきます。
 
  昨年10月、義母の入所先の「グループホームルンビニー」から、義母が部屋で足がすべって転んだという電話を受けました。よく転ぶ人だから、「またか。」と軽く考えていたところ、また電話があり、「主治医の藤原先生に診て頂いたところ、他に異常はないのですが、足が痛くて動けないので、救急車で運ばれました。」とのこと。痛いのには少々のことでは弱音をはかない人だから、これは何かある・・、と急いで搬送先の整形外科に駆けつけました。股関節の骨折ということで、すでに入院して片足は引っ張って重しをつけられている状態でした。ルンビニーのスタッフの方が心配そうについて下さっていました。

 5月にルンビニーに入所させて頂いてから、彼女も私もやっとお互いの生活を歩き始めた状態でおりましたので、とてもショックでした。これからどうなるのだろう・・・、そればかりが頭の中をかけめぐりました。

 とにかく何日か経って手術を受けました。そして3日間ばかり付き添いましたが、毎日の仕事を抱えておりましたので、付き添いさんをお願いしました。とても良い方が来て下さり、運の良い義母はわがままを言いながら、また都合が悪くなると歌を歌いながら、とても大事に看て頂きました。
 手術の後も順調で、ルンビニーのスタッフの方達が入れ代わり立ち代り見舞って下さり、義母は幸福な人だとしみじみ思いました。私と主人のことは分かりますが、あとはどなたに訪ねていただいても分かりません。それでもルンビニーのスタッフの方たちに来て頂くと、一緒に歌を歌ったりして楽しそうですよ、と付き添いさんが伝えて下さいました。

 12月に入って、治療もこれまでだからと、今後のことを尋ねられ、ルンビニーの管理者である相原さんも大変気に掛けて下さって、とにかく以前ずっとお世話になっていたB病院のケアマネージャであるMさんに相談しました。
 彼女がいろいろ尽力して下さり、年末にはB病院にお世話になることとなり、ひとまず安心しました。それからそこでのリハビリが始まりました。しかしその間もルンビニーの相原さんは何度も何度も足を運んで下さり、義母の状態を見舞って下さいました。
 可能な状態に回復し、またルンビニーに空きが出来たら義母を引き受けて下さる様子でしたが、うれしく思う反面、義母の状態を見るのに、とてもそれは不可能なことだろうというのが私や主人の思いでした。でもこれからどうするのか。連れて帰っても足が不自由だし、痴呆もだいぶんひどくなっているから、とても私の手には負えそうもないし、かといってまた違う施設に入れたのでは義母が可哀相だし・・、ということで、病院にお願いして空きができたら病院のホームに入所できるようお願いしました。

 ただ、病院に見舞う度にベッドの上での生活を見て、本当にこれでいいのかと責められるような毎日でした。私達にできる事は見舞っている僅かな時間、車椅子に乗せて歩いてあげることくらいしかありません。私達がそうして悩んでいる間も、相原さんはB病院のMさんと連絡をとりながら、義母の様子を見守って下さっていたようでした。

4月に入って、相原さんが「お部屋に空きもあるし、なんとかみれる状態のようだから、また入所させませんか?」と言って下さいました。本当にこんな状態で大丈夫ですか?と言いつつ、本当に有難くて、掌を合わせる思いでした。

 はじめて入所した日から約1年後の4月22日、再度入所させて頂くことになりました。歩行器につかまって歩かせて頂いたり、車椅子で移動させてもらったり、テレビが好きなので畳の部屋で座椅子に座ってビデオを見せてもらったりと、充実した毎日を過ごしている様子です。先日訪問した時には、洗った食器を布巾で拭いていました。以前に頭の手術をした時に動かなくなっていた右手が、少しずつ活躍しています。
 「ばあちゃん、右手が動いとるがね!」と言うと、義母はとても嬉しそうでした。義母の生活に「夜明け」が来たのだと実感しました。そしてその夜明けは、私自身の心に差し込む光でもありました。

 本当に長い期間に渡り、足繁く義母の様子を見て下さり、今日の日を迎えさせて下さった相原さんに感謝の気持ちでいっぱいです。また、途方もなく手のかかるであろう義母のことを快く迎えてくださった藤原先生、本当にありがとうございます。ここ数年は本当に大変な思いで過ごしておりましたが、こんなにも良い方々にう巡り合うことができて、義母も私も心から有り難く思っております。スタッフの皆様、いろいろとご迷惑な毎日かとは思いますが、どうかよろしくお願い致します。

 
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