かあちゃん

管理者 相原あや子

 
  Kさん(女性)が10月11日に亡くなられました。85歳でした。Aスタッフが後述していますように、9月初め褥瘡が治癒してスタッフ一同、「よかったねえ。」と喜び合った矢先のことでした。急に意識レベルの低下をきたしたのが9月の中旬です。ご家族のご意向は入院しての延命は望まれず、ルンビニーで看取りをしてほしいとのことでした。耳元で「かあちゃん、おはよう。」と言うと、「おはよう。」と返事のある時ない時と意識レベルは色々に変化しました。「にいちゃん、ねえちゃん、ごめんね。」といううわ言、スタッフの目から思わずあふれる涙。
 院長の指示で毎日点滴を行い、また、意識レベルの比較的良いときに濃厚流動食を少しずつ注射器で送ると嚥下することができました。

 一人娘のMさんはお仕事の関係で週末にしか松山におれず、今回が最後か・・・と毎回思いつつ、結局4回の週末は生前のお母さんにお会いでき、私なりに良かったのではと思わせていただいております。

 入居者Nさんは、Kさんの周辺のただならぬ様子を察知されていましたので、亡くなられたことを伝えました。Nさんは若いスタッフに「着物は左前にするんよ。」など気遣ってくれました。そしてスタッフと共に、枕元で般若心経を唱えてお見送りをしました。告別式にもNさんのご家族の了解のもと、スタッフと共に参列しました。NさんはKさんのご遺族に「お寂しゅうございましょう。」と何度も声をかけておられました。

 告別式で拝見したKさんのお顔は本当に安らかでした。生前ご主人が来られる度、「かあちゃん、よかったね。」と繰り返し繰り返し頭を撫でておられた事を思い出し、本当のご家族やルンビニーの家族に見守られてのKさんの人生の終末、これでよかったのではと、お花につつまれた安らかなお姿に、その想いを強くした次第です。

 以下にスタッフ達のKさんへの想いを綴らせていただきます。
Hスタッフ
 かあちゃん、かあちゃんはすごく淋しがり屋で涙もろい性格だったよね。かあちゃんはいつも、「ねえちゃん、ねき(近く)おってな。」って慕ってくれてた。この1年6ヶ月、かあちゃんとは泣いたり、笑ったり、怒ったり・・・。いろんな事があったけど、どれも素敵な思い出ばかり。かあちゃんが見せてくれる笑顔はいつも私の心を和ませてくれる・・・。そんなかあちゃんが大好きだよ。本当にかあちゃんと出会えて良かった。いろんな思い出ありがとう。かあちゃんの事はこれからもずっと忘れないからね。
大好きなかあちゃんへ
Aスタッフ
 母ちゃんとの思い出はたくさんあるけれど、中でも一番嬉しかったのは初めて母ちゃんから「ねえちゃん好きよ」と言われた時のことです。それまで、どんなに「母ちゃん大好きよ」と伝えてもなかなか信じてもらえず、切ない思いをし続けていた私にとって、その瞬間は感動!!でした。それと同時に母ちゃんと通じ合う為には、「言葉だけでなく態度も大事なんだ」と気づかされた瞬間でもありました。・・・まるで恋愛のようですね!事実、その日以来、「ねえちゃんがおらんと生きていけん」と言ってくれるまでに両想いになれたけれど、正直私の心境は複雑でした。(母ちゃんをそこまで不安にさせているものは何なのか、その不安を取り除くにはどうしたら良いのか)逆に、とても悩んだのも事実です。
 母ちゃんと出会って間もない頃は、「独りは淋しい・・・。」とよく郷里の話をされていましたが、もうお父さんやお母さんには会えましたか?
 母ちゃんの体調が悪くなってしまってからは、「世話をかけてすまんねぇ。」とよく言ってくれていたけれど、もう辛くはないですか?
 もう会えないのは分かっているけれど、せめて、母ちゃんからの返事が欲しいです。でも、それも叶わぬ願いなので、母ちゃんが安らかに眠られる事を心から祈っています。
 最後になりましたが、母ちゃんと出会えて本当に良かったと思っています。もし、暇があったらたまには私の事も見守っていて下さい。
Hスタッフ
 僕にとっての「Kさん」とは、どういう人だったんだろうか?と考えると・・・介護経験1年目の僕にいろいろと身を持って教えてくれた、ルンビニーでの「先生」だったのかなと、亡くなった今になってそう思います。「かあちゃん」にとって85年の人生でルンビニーでの1年半は短い時間だったのかもしれませんが、僕にとって「かあちゃん」は決して忘れることのない、かけがえのない存在になっていました。「かあちゃん」と出会え、少しの時間でも「かあちゃん」の人生に関われた事を感謝します。
ありがとう、「かあちゃん」
Fスタッフ
 母ちゃんと過ごした1年半、色々なことを教わりました。
 ピンクのソファに座っている母ちゃんに笑顔で話し掛けると、とっても愛嬌のある笑顔が返ってくる。でもその反面、内心イライラしてかろうじて笑顔で話し掛けると、不機嫌な返事が必ず返ってきて、いつも心の内を見透かされていました。やっぱり心というものは、表面に出てしまうものなんだと教えられ、私の考え方、接し方などを変える体験となりました。
 「ねえちゃん一緒に寝よや。」と一緒にベッドで寝ていると、布団をそっとかけ直してくれたりと、さりげないやさしさ。ご主人さんや娘さんなど家族を想うやさしさ。
 母ちゃんと一緒に過ごせた事を嬉しく思います。本当にありがとうございました。
Aスタッフ
 かあちゃん、ごめんね。看護師でありながら、かあちゃんの仙骨上部の発赤の発見が遅れ、気がついた時は水疱ができていました。膝の悪いかあちゃんは、いつもソファーにゆったりと座っていましたね。その仙骨座りによる圧迫とズレで褥瘡を作ってしまいました。水疱を発見した時のショック、今も忘れることができません。「かあちゃん、ごめんなさい。絶対に治すからね。」ベッド用除圧マットのレンタル、座位時の除圧クッションの購入、緊急のカンファレンスを持ち、スタッフ間で処置を含めケアの統一を図りました。最悪時はIAETの分類でステージV(皮下組織に至る全層欠損)に達していました。院長の指示で、生理食塩水による洗浄と各ステージに応じた軟膏を使用し、糖尿病の合併症があるにもかかわらず、幸い感染もなく、6月10日に水疱を発見してから3ヶ月後の9月初めに治癒しました。瘡のないお身体であの世にお送りすることができたことは、せめてもの私の心の救いです。この原稿を書いているパソコンの画面が涙でくもり、なかなか前に進みません。かあちゃん、この世は妄想で怖いことがよくあったね。あの世では怖いことは何もないからね、心安らかにお過ごしください。
 
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