図書紹介 『私は誰になっていくの?』

医療法人ビハーラ 藤原胃腸科 藤原 壽則

 
  先般NHKで放映された著者の講演を聴いて、大きな衝撃と感動を受け、彼女の著書が出版されたことを知って、早速一気に読み上げたのが本書である。
 まず、アルツハイマー病を正確に理解して自分に起こった事態を実に綿密に、理性的、客観的に記載し、しかもオーストラリアの自然や日常まで盛り込んだ美しい文章に接して、果たして痴呆と診断された人が書いた本なのかと疑ったほどである。

  著者は、娘たちのために思い出すことを書き留め、アツルハイマー病と共に歩んだ自分の感情的、身体的、精神的な旅について、自分の人生経験を伝えたい、としている。

  著者は1995年5月、46歳でアルツハイマー病の診断を受けた。目覚しい功績に対してキャリアウーマンとして数々の表彰を受け、勲章を授与された輝かしい経歴をもつ上級行政官であった彼女にとって、衝撃的で、人生を激変させるできごとであった。
  痴呆と診断されてからの、将来に対する不安、病気に対する誤解と偏見、などが実に理性的、客観的に記載されている。「自分が少しずつ消えていき、違う誰かになっていくようだ」という不安がこの書物のタイトル

「Who will I be when I die」

となっている。
  少しずつ現れてくる痴呆症状。物事のやり方(例えばストーブをつけたり、車の運転など)を知る能力を段々失い、ついには体を機能させることも忘れてしまう(食物を飲み込むこと)、という病気の進行に対する不安。著者によれば、暴力的とされる行為、介護への抵抗とされる行為も、介護者たちによって急がされた場合に、「私はこれをしたくない」という言葉が出てこない、そして、なぜいやなのか、その訳を言うことができないために、内部に欲求不満が閉じ込められるための行為だという。また、同時にいくつかのことをこなすこと、同時にいくつかの情報を認知することが極めて困難になり、強度の疲労の原因になる。

 病を得て、自分の人生に悔いはない、とする著者を支えているのは、キリスト教に対する厚い信仰と彼女を取り巻く家族、友人たちの愛、励まし、支援である。特に信仰がなければ、この大変な病と闘ってくることはできなかったことが、著書全般を通じて記載されているキリスト教への敬虔な信仰である。信仰は彼女の生活の一部であり、診断が確定したとき、著者は教会は祈り、実際的な援助、愛、会衆などによって、苦しみを分かってくれると感じたと言う。「神は自分のそばにいてくださる。だから、自分の人生幸せである。」

  これまで、アルツハイマー病の人による、痴呆を病む人からみた世界を著した書籍はほとんどない。介護者から書かれたものはいくつもみられるが(小澤勲 著 「痴呆老人からみた世界」 岩崎学術出版など)、いずれも根本的なに視点が違ったものである。

  これまで意欲障害、攻撃性、感情不安的、易疲労性などと、雑ぱくな症状の記載で行ってきたケアが、痴呆の人たちに対するケアとしてはほとんど無効なもの、否、むしろ痴呆の人たちを傷つけるケアであったのではないか。痴呆を生きる不自由を十分知っていないと彼らを追い詰める結果になるのではないか。痴呆の人たちの不安を支えるのは、人と人の親密な結びつきであり、ちょっとした心づかいであることをこの書は教えてくれる。
  痴呆のケアに当たっては、彼らからみた世界を知り、生活の中の一コマ一コマに寄り添いながらケアに当たることが必要であることを教えてくれる書である。

  要介護高齢者の版数が痴呆を持つと言われている。介護職の人は勿論、高齢者と暮らす家族の人たちにも是非一読していただきたい著書である。

  彼女の痴呆は、前頭側頭型痴呆と言われるもので、アルツハイマー病の中核から少々はずれた病態で、これを専門家は、アツルハイマー病と区別している。
  前頭側頭型痴呆の症例について最近学術誌「Neurology」に掲載された論文については、来月ご紹介したい。

[ 続く ]

 
 
 
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