長寿時代の健康と生きがい
−心を開く仏教カウンセリング−
四天王寺国際仏教大学大学院教授
奈倉 道隆 先生
第1部 老いに親しみ、すこやかに生きる
- 喜びや不安と出会う長寿の人生
- エイジング(老化)は病気ではなく自然な変化である
- 人やものの支援を活かし、すこやかに老いを生きぬく
- すべてのものが移り変わると説く仏の教え 「健康の根源」
第2部 ビハーラを推める 仏教カウンセリング
- とらわれの心をほどく仏教カウンセリング
- 悩む人の心にひそむ仏の声 ひたすら傾聴させていただく
- 調和が安定をもたらすと説く仏の教え 「生きがいの根源」
「老い」を衰えとしてのみ捉えるのではなく、人は年を重ねるほどその人生は益々深まり、死ぬまで成長するものである。老いはこのように「生涯発達」の観点からすれば尊いものである。
記憶力など年とともに衰える能力は、他の手段で工夫しながら補えばいい。物事の本質を洞察し、総合的に判断する能力は、年をとるに従って積み重なり、深まってゆく。
しかし、効率主義の現代社会では、ものごとをイエスかノーか、人をいい人、悪い人と、単純な判断で割り切り、深い知恵など要らないと考える傾向にあり、このことが高齢者排斥の傾向を生み出している。そのため、老いは不安を生じさせている。病院や介護施設などに傾聴ボランティアに行くと、不安を抱いて孤立し、「自分は家族のお荷物」と悩む高齢者に会う。
人間は人の間と書く。人と人との関係の中で私たちは生きている。仏教はその関係を重視する。物事は、縁なしには生じないという思想である。
先日デンマークで、さまざまな年代が共同生活を送る集合住宅「コレクティブハウス」を見た。そこには、人同士の関係を大切にしようという人が集まって生活している。これからの社会は、血縁関係で構成する従来の「家庭」という枠組みを超えた、新しい家庭の在り方を考えていくことが必要ではないだろうか。
年とともに体は弱っても、感性は深まっていく。健やかに老いを行きぬくには、さまざまな支援を有効に活用すること。それは誰かにもたれかかるという意味ではない。支援を得ながら、自分の意思で主体的にどう生きるか、考えることが重要である。
奈倉先生は、公開講演会の翌日、6月4日、私達の「グループホーム ルンビニー」、「デイケアセンター ビハーラ」を訪れてくれました。入居者や通所者たちと対話し、一緒に歌を歌い、ご家族の方々に対する仏教カウンセリングなどを行ってくださいました。
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